- 2020.08.07
- 著作権の豆知識
社団法人日本著作権協議会について
最近、「著作権台帳(文化人名録)」を発行していた社団法人日本著作権協議会についての、破綻までの経緯が書かれている書物を読みました。
著作権を生業にしている団体が著作権がらみで創業者家から訴えられ、敗訴の上破産という、なかなか興味深い内容でした。
破産宣告を受けたのは2003年10月10日と、それほど遠くない出来事なのに、なぜかネット上ではこれらの記事が見当たりませんでした。
まあ、こんなこともある、という失敗事例としてネット情報に追加させていただきます。
■設立時
社団法人日本著作権協議会は昭和25年4月1日に設立されました。その目的は「ひろく著作権と著作権使用者の権利とを確立擁護するとともに、著作権所有者と著作権使用者との協議により相互の関係を調整し、もって著作権思想の普及徹底と著作権使用の安全保障に寄与する。」とあります。
当初の加盟団体には日本文藝家協会をはじめ、美術、新聞、放送、レコード、映画などの22団体が加盟しています。
また、役員には末弘厳太郎(法学者)、中島健蔵(フランス文学者)、川端康成(ノーベル文学賞受賞者)など、著名な方々が多く、公的な団体のイメージです。ただ、創業のために動いた人物は別にいて、その方が創業者として経営を差配していきます。
昭和26年3月には文化人名録の初版が発行されています。この書籍には、著作者名簿、芸能人名簿、編集者名簿、権利者(故人)名簿、加盟団体名簿、維持会員名簿、著作権便覧、著作権使用者一覧といった内容が記載されています。奥付には「本会(日本著作権協議会)が本書の著作権、編集著作権、出版権を所有する」とあります。
社団法人設立時はこのように著作権台帳(文化人名録)の著作権は社団が所有しておりました。
■著作権の譲渡
しかし社団設立より10年くらい経過した昭和34年5月30日、創業者が「有限会社著作権協議会編集局」という会社を設立し、この有限会社へ日本著作権協議会が所有であるはずの出版物(著作権台帳など)の著作権、編集著作権を譲渡してしまいます(譲渡時期は不明)。
そこから、著作権台帳(文化人名録)の発行者は有限会社著作権協議会編集局、編者(有限会社からの下請け)は社団法人日本著作権協議会という構図で推移していったようです。
■売上減少
平成に入るころには日外アソシエーツなど他社でも同様の名簿を発行したことで、著作権台帳(文化人名録)の売り上げは落ち始めます。
この頃の社団法人日本著作権協議会の収入の柱は、有限会社著作権協議会からの著作編集費(3,000万円)だったため、著作権台帳を2年ごとに発行してもぎりぎりの経営でした。しかし、著作権台帳の売上収入は、この著作編集費等をカバーできないくらい落ち込んでいたとみられ、発行者である有限会社著作権協議会は著作権台帳(第26版)の発行中止を検討していたようです。
■訴訟
結局、この著作権台帳(第26版)は発行されたのですが、その際の社団法人と有限会社間で色々と金銭的なやりとりがあって、それが原因で、原告が有限会社著作権協議会編集局、被告が社団法人日本著作権協議会の裁判がありました。
①東京地裁平成14年12月25日判決(平成14年(ワ)第2759号貸金等請求事件)
②東京高裁平成15年6月26日判決(平成15年(ネ)第364号貸金等請求事件)
※裁判詳細は各人でご確認ください。
いずれも社団法人日本著作権協議会が全面敗訴となりました。
そもそも昭和30年代に編集著作権等の権利を社団法人から有限会社へ譲渡し、実績を作り上げてきたことが有限会社(創業者家)側の勝利につながったといえます。
勝手に権利を譲渡したことについては、創業者の業務上の横領といえるのかもしれませんが、すでにたくさんの時が経過しており、譲渡に関して法的に裁くのは難しかったようです。
■裁判後
著作権台帳の書籍版はこの一連の裁判で取り上げられた第26版(平成13年:2001年発行)で最後ですが、その翌年にCD-ROM版(第26版をデジタル化)が出版されています。CD-ROM版には「著作権は社団法人日本著作権協議会」と明記されていますが、もう後の祭りといったところでしょう。
東京高裁での敗訴後、社団法人日本著作権協議会は平成15年10月10日午前10時、東京地裁より破産宣告を受けますが、翌平成16年5月24日に破産廃止の決定を受けます。その理由は、「破産財団をもって破産手続きの費用を償うに足りない。」でした。
組織の最後はいつも物悲しいものです。
ちなみに原告の有限会社著作権協議会編集局は、「平成16年6月30日社員総会の決議により解散」となっています。
<参考文献>
大家重夫「法人名義著作物たるべき著作物の他名義への変更」(『意匠法および周辺法の現代的課題』発明協会2005年、所収)